月面着陸

ソビエト連邦のルナ計画により、1959年1月4日に打ち上げられたルナ1号(E-1)は、月の近隣を通過した史上初の月探査機となった。その後継機であるルナ2号は月面に達した。1959年10月7日には、ルナ3号が月の裏側の写真撮影に成功した。その後1966年2月3日に連邦の打ち上げたルナ9号が初の月面「軟着陸」を成し遂げると、1966年4月3日にはルナ10号が月の衛星となることに成功したのであった。

アメリカ合衆国は、月へ無人惑星探査機を送るパイオニア計画を打ち出す。しかしながら、異なった3機の探査機発射ロケットに付随した3種のデザインによる惑星探査機は10回の試み全てが失敗に終わった。

サーベイヤー計画は、ロボットを用いて有人月面着陸に向けた月面への安全な着陸を研究するアメリカ合衆国の取り組みの一部である。この計画で5基の探査機による7つの作戦が成功し、アポロ計画の宇宙飛行士達が降り立つに最も好ましい地点を探り当てる一助となった。その後1968年12月27日にアポロ8号が有人による月軌道調査を実行し、月面に人類を上陸させる土台を築いた。

いつの間にか

「メッカ」という言葉が聞かれなくなった。

「メッカ」という言葉は、宗教的な意味に限らず、重要な場所、人を引きつける場所、あるいはどっと押し寄せた人々を表す言葉として、イスラム教徒に限らず、世界中のどこででも用いられるようになっている。

ある一定の目的や意思を持った多数の人が集まる場所を「あこがれの地」や「中心」とみなしてイスラム教徒が集まるメッカに例えて「 – のメッカ」と慣用することがある。例えば「苗場はスキーヤーのメッカ」「高校球児のメッカ、甲子園」、あるいは「競艇のメッカ、住之江」などというように使う。ただしムスリムやサウジアラビア政府はこのような用法を好まない。テレビ朝日の番組では、生放送で「渋滞のメッカ、六本木」という表現をしたあと、不適切な表現だったと謝罪する一幕もあった。似たような比喩に「聖地」という表現がある。現在のテレビ放送では「 – のメッカ」は自粛用語の為、使用されない。

アラゴン

アラゴン王国はナバーラ王(イベリア王とも自称した)サンチョ3世(在位:1004年 – 1035年)による庶子ラミロ1世への領土分割に端を発する。サンチョ3世は大王と称される傑物で、イベリア半島北方のレオン王国のベルムード3世をガリシアへ敗走させ、カスティーリャ伯爵領(カスティーリャ王国の前身)を1029年、妃マヨールに継がせるなど、イベリアのキリスト教世界に覇を唱えた人物である。サンチョ大王は死に臨んで、息子たちに遺領を分割した。当時、アラゴン川流域のチャカ(アラゴン語;スペイン語ハカ)を中心とするアラゴンの領域は庶子ラミロ1世に与えられ、国王の称号も許された。

アラゴン王国の成立である。12世紀レコンキスタ(再征服運動)の進展とともに、アラゴン王国はより広いエブロ川流域に進出し、1118年にはアルフォンソ1世がサラゴサの町をイスラム教徒から奪回した。以後サラゴサはアラゴン王国の都となっている。